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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)6493号 判決 1977年3月24日

原告

谷口八重

原告

谷口裕子

原告

谷口かすみ

右原告ら訴訟代理人

本村俊学

被告(昭和四九年(ワ)第二五七四号事件)

遠藤和秀

被告(昭和四九年(ワ)第二五七四号事件)

遠藤政勝

被告(昭和四九年(ワ)第二五七四号事件)

遠藤和夫

右三名訴訟代理人

行橋治雄

被告(昭和四九年(ワ)第二五七四号事件)

松崎幸俊

被告(昭和五〇年(ワ)第六四九三号事件)

株式会社

マツダオート東京

右代表者

石橋正

右両名訴訟代理人

田中義之助

外二名

主文

被告遠藤和秀及び遠藤政勝は、各自、原告谷口八重に対し金一〇〇万円、原告谷口裕子及び同谷口かすみに対し各金七〇〇万円及び右各金員に対する昭和四九年五月二〇日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らの、被告遠藤和夫、同松崎幸俊及び同株式会社マツダオート東京に対する請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用のうち、原告らと被告遠藤和秀及び同遠藤政勝との間に生じた分は、同被告らの連帯負担とし、原告らとその余の被告らとの間に生じた分は、原告らの連帯負担とする。

この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

(事故の発生)

一原告ら主張の日時及び場所(本件交差点)において、亡秀雄の運転する原告車と被告和秀の運転する被告車が衝突し、右事故により亡秀雄が死亡したことは、原告らと被告遠藤らの間において争いがなく、原告らと被告松崎及び被告会社との間においては、<証拠>を総合して、これを認めることができる。

(責任原因)

二被告和秀に対する責任原因

<証拠>を総合すると、

(一)  本件事故現場は、関町一丁目方面(西方)から上井草一丁目方面(東方)に通ずる幅員約9.2メートル、車道幅員約7.6メートルの中央線の設けられている道路(以下「甲道路」という。)と桃井四丁目方面(南方)から下石神井方面(北方)に通ずる中央線の設けられている道路(以下「乙道路」という。)の交わる交差点であり(乙道路の本件交差点より南方部分は幅員約7.5メートル、車道幅員約4.5メートル、その北方部分は幅員約9.7メートル、車道幅員約8.2メートルである。)、交差点各出口に横断歩道が設けられ、甲道路及び乙道路とも舗装されており、現場付近は直線道路で、約三〇メートルおきに街路灯が点灯され、夜間でも前方の見通しはよいが、交差点各角の塀等のため左右の見通しは悪く、甲道路の指定制限速度は毎時三〇キロメートル、乙道路のそれは毎時四〇キロメートルであり、本件交差点は信号機による交通整理が行われており、本件事故現場付近は、市街地であるが、本件事故当時、交通はまばらであつたこと。

(二)  被告和秀は、甲道路を、上井草一丁目方面(東方)から本件交差点に向かい西進中、被告車の前方右手、本件交差点の約一八〇メートル東方(上井草一丁目方面寄り)のところに、警察官三名が交通検問をしており、警察官が被告車に対し懐中電灯で停止の合図、誘導をしているのを認めたが、被告車が盗んだ車であり、また、無免許でもあつたため、毎時約一〇キロメートルのゆつくりした速度に減速させただけで、右速度で右検問場所を通過し、そのままの速度で一〇メートルないし二〇メートル進行し、その後毎時約五〇キロメートルの速度に加速し、本件交差点に向かい進行したところ、本件交差点の対面信号が赤色表示であるのを認めたが、右交通検問の警察官に白バイで追跡されていたため、そのまま本件交差点に進入、右折しようと本件交差点手前で少しブレーキをかけただけで停止しないまま本件交差点に進入し、若干ハンドルを右に切り本件交差点東入口横断歩道付近に差しかかつた際、本件交差点南出口横断歩道付近を乙道路方向の青色信号に従い、本件交差点を通過しようと進行中の亡秀雄運転の原告車を発見したものの、急制動措置をとることなく、そのまま約5.9メートル進行し、本件交差点内北行車線内において、被告車前部を原告車右側面に衝突させ、右衝突により、原告車を右衝突地点から約九メートル離れた本件交差点北西角植木園内に転覆、停止させ、被告車は、右衝突地点の約3.8メートル北西の地点に、前部を下石神井方面に向け、後部をやや関町一丁目方向に振つた位置で停止したこと、

が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定の事実によると、被告和秀は、本件交差点に進入するに際し、対面信号機の赤色表示に従い、本件交差点の手前で停止し、乙道路方向の青色信号に従い進行中の原告車の進行を妨げてはならない義務があつたにかかわらず、これを怠り、赤色信号を無視して本件交差点に進入し、そのまま進行した過失により本件事故を惹き起こしたものであるから、民法第七〇九条の規定により、本件事故により、亡秀雄及び原告らが被つた損害を賠償する責任がある。

三被告政勝及び同和夫に対する責任

1  未成年者が責任能力を有する場合においても、監督義務者の義務違反と当該未成年者の不法行為によつて生じた結果との間に相当因果関係が存するときは、監督義務者について民法第七〇九条の規定に基づく不法行為が成立するものと解するを相当とするところ、これを本件についてみるに、被告政勝が被告和秀の伯父であり、同被告をその幼少時より引き取つて養育監護していたこと、及び被告和夫が被告和秀の父であることは当事者間に争いがないところ、<証拠>を総合すると、被告和秀が、被告政勝夫婦に幼少時(三歳位)に引き取られた経緯は、被告和秀の父である被告和夫の妻日出子が昭和三三年三月九日に死亡し、被告和夫において被告和秀を養育するのに困つていたところ、被告政勝夫婦に子供がなかつた等の事情によるものであり、被告政勝は、被告和秀を引き取つた後、同被告を可愛がり、やや甘やかして育てた向きがあり、被告和秀が高校一年の頃原動機付自転車の窃盗で補導された際、東京家庭裁判所に呼び出され、被告和秀の監督につき注意を受け、また、被告和秀が一六歳のとき、原動機付自転車の免許を取り、その後交通法規違反で免許停止一か月の行政処分を受けたこともあつたにかかわらず、その後も被告和秀の自動車を買つてほしいとの希望(当時、同被告は大学一年生であつた。)を押えることができず、昭和四八年三月頃から被告和秀を普通自動車運転免許取得のため自動車教習所に通わせたうえ、被告和秀がまだ本免許も取得していなかつた同年六月頃、被告和秀の執拗な要求を入れ自動車を買い与え、当時、被告和秀においてまだ普通自動車の運転免許を取得していなかつたのであるから、同被告が右車を使用できないようにその車の鍵を厳重に保管する等の措置を講ずべきであつたにかかわらず、単に免許を取るまで右車を運転してはいけない旨申しきかせただけで、同被告が時時被告政勝に無断で右車を運転していたことを知りながら格別の注意もせず(なお、被告政勝方は夫婦共稼ぎで昼間は被告和秀のほか在宅者はいない。)、また、鍵の保管についても従来のまま仏壇に保管し、特別の措置もとらず、同年六月末頃、同被告が右車を持ち出し、その友達が運転中事故を惹き起こすに至つたが、その折にも厳重な注意を与えることなく、右車を修理のため販売会社に預け、引き続いて免許取得のために自動車教習所に通わせていたこと、被告和秀は夜間外出することがしばしばあり、末成年者であるにかかわらず、飲酒喫煙をし、友人宅に外泊することもあつたが、これらの点についても被告政勝において格別の注意を払つた形跡がなかつたこと、このような放任され、かつ、甘やかされた生活環境の中で、被告和秀は、自動車運転の欲望を押えきれず、同年八月二八日午後四時から同五時までの間に、被告会社本件営業所前の本件駐車場にエンジンキーをつけたまま駐車中の被告車からそのエンジンキーを窃取し、同月二九日午前三時三〇分頃、右エンジンキーを使い被告車を窃取し、未だ仮免許中でありながら、本件事故までの間右車を乗り廻したり、被告政勝方近くの同被告名義で借りてある駐車場に置いたりしていたこと、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

叙上認定の事実関係のもとにおいて惹き起された本件事故は、被告政勝が被告和秀に対する事実上の監督義務を尽くさず、同被告の欲望を入れるのみで、格別の措置を講じなかつたことに起因するものと認めるを相当とするから、被告政勝の監督義務の懈怠と本件事故との間には相当因果関係があるものと認むべきである。もつとも、被告政勝が被告和秀において被告車を盗取し、乗り廻していることを知らなかつたことは、被告政勝本人尋問の結果により認められるが、前記認定の被告政勝の被告和秀に対する放任的な養育監護の状況からみると、被告政勝は被告和秀の右のような行動を把握し、これを防止するため適切な措置をとる等の監督的姿勢を欠き、かような監督状況からは早晩、被告和秀が本件事故のような交通事故を惹き起こすことがあることは容易に予見しえたものというべく、被告政勝にはこれを防止すべき措置をとる義務を怠つた過失があるものといいうるから、被告政勝が被告和秀の被告車盗取の事実を知らなかつたことは何らその責任を免れしめるものではない。したがつて、被告政勝は、民法第七〇九条の規定に基づき本件事故により亡秀雄及び原告らが被つた損害を賠償する責任がある。

2  右認定の事実によると、被告和夫は被告和秀の父であるが、叙上の経緯に照らし、被告和秀の養育監護は、専ら被告政勝が行つていたこと明らかであるから、被告和夫には、本件事故発生につき過失があつたものとはいい難く、したがつて、被告和夫に対し本件事故により被つた損害の賠償を求める原告らの請求は理由がないものというほかない。

四被告松崎及び被告会社に対する責任原因

(一)  被告松崎が被告車の所有車であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、被告松崎は、被告車を通勤及び被告会社のセールスの仕事に使用し、また、被告会社は、被告松崎を含め被告会社勤務のセールスマン各人が被告車を含めセールスマン各個人所有の自動車を被告会社の業務に使うこと、及びそれらの車を本件駐車場に駐車させておくことを容認し、セールスマンが各自の車を業務用に使用する際のガソリン代を支給していたことは認めうるところ、被告松崎及び被告会社は、本件事故当時、被告車は被告和秀に盗取され、同被告自身のため運行の用に供されていたものであつて、被告松崎及び被告会社は運行供用者ではなかつた旨主張するので、まずこの点につき判断することとする。

被告車が、被告会社の本件営業所玄関わきの歩道に接する周壁のない駐車場(本件駐車場)において盗難に遭つたことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、(1) 本件営業所は 青梅街道に接し、同街道の歩道からやや奥まつて、敷地の歩道に面する間口一ぱいの幅で建物が建てられ、右歩道と右建物との間が駐車場(本件駐車場)となつており、歩道から建物に向かつて中央よりやや右寄りの部分に本件駐車場から奥の修理工場に通ずる通路があり、建物の歩道に面した部分は、右通路部分を除きほぼ全面がガラス張りになり、建物内は事務室になつていること、(2) 本件営業所では、歩道から右建物に向かい、本件駐車場の前記通路より右側部分には短時間駐車予定の被告会社勤務の各セールスマンの個人所有の車を駐車させ、右通路より左側部分には修理工場又は右建物の奥の駐車場に移すまでの短時間に限り修理依頼のあつた顧客の車を駐車させることとし、午前八時三〇分から午後七時までの本件営業所の営業時間中は車の出し入れの便宜上、エンジンキーを点火装置中に差し込んだままドアに施錠をせず、自動車を駐車させておく取扱いにしていたこと、本件営業所建物内には、歩道から向かつて前記通路の右側部分でサービス課長、サービスマネージヤー、事務員各一名のほか整備サービス員二名が執務し、前記通路の左側部分に販売担当者一名がおり、常時、右整備サービス員二名及び販売担当者が受付を兼ねて外を見ており、従業員以外の第三者が駐車中の車をのけたり、触つたりしている場合には、これらの者が出て応待等に当たつていたこと、本件駐車場付近は、被告会社のセールスの社員が絶えず出入しており、午後七時以降は、顧客から預つた車は奥の駐車場又は修理工場に入れ、本件駐車場には、被告会社勤務の各セールスマン個人所有の車が、各自の責任においてエンジンキーをはずし、ドアの施錠をして駐車されている以外、駐車してある車両はなく、セールスマン個人の車のエンジンキーを営業所で保管することはしていないこと、また、夜間、本件営業所には宿直員はいないが、本件盗難事故を除いて、本件駐車場に駐車中の車が盗難に遭つたことはなかつたこと、(3) 被告松崎は、昭和四八年八月二八日午後四時頃、被告車を本件駐車場の青梅街道から本件営業所建物に向かい最右端の位置に、前部を青梅街道に向け、慣例に従いエンジンキーを点火装置に差し込み、ドアに施錠しないままで駐車させていたが(当時、本件駐車場には、七、八台の車が駐車していた。)、被告和秀は、同日午後四時頃から同五時頃までの間に本件駐車場前を通つた際に、右駐車中の被告車が点火装置にエンジンキーを差し込んだままであり、ドアも施錠してないのを奇貨とし、その際、エンジンキーのみを窃取し、翌二九日午前三時三〇分頃、再び本件駐車場に至り、前日盗んだ右エンジンキーで、被告車の施錠されていたドアを開け、被告車を窃取し、運転して持ち去つたこと、一方、被告松崎は、同月二八日午後五時頃、被告車のエンジンキーが紛失していることに気づき、当時、本件営業所にいた販売担当社員五、六名及び大部分いた整備担当者全員に被告車のエンジンキーを尋ねたが誰も知らなかつたため、日頃の癖で、うつかりエンジンキーを抜き取り、紛失したものと判断し、被告車をそのままにし、他の車で外出したところ、同日午後七時半頃、右営業所社員が、被告車のドアを施錠して帰宅したこと、被告松崎及び相田光三はそれぞれ午後一〇時頃右営業所に戻つたのであるが、本件駐車場に被告車だけが駐車されており、被告車にはエンジンキーはついておらず、そのドアはすべて施錠されていることを確認したうえ帰宅したこと、被告松崎は翌二九日午前九時頃、右営業所に出勤したところ、被告車がなくなつているのを見て初めて盗難に遭つたことを知り、他の社員に確かめるとともに直ちに警視庁石神井警察署武蔵関駅前派出所に盗難届を出したこと、(4) 被告和秀は、被告車を窃取後、これを友人らと運転して箱根、多摩湖等をドライブし、夜間は自宅のある鷺の宮西住宅の専用駐車場に駐車し、事故当夜も右駐車場から被告車を乗り出し、友人宅に赴く途中本件事故を惹き起こしたこと、(5) 被告和秀と被告松崎及び被告会社の間には、雇用関係その他の人的関係は一切存在しないこと、以上の事実を認めることができ、<証拠判断省略>、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかして、叙上認定の事実によると、被告松崎及び被告会社が日常、第三者に被告車の運転を許容していた事実はなく、本件において外観的にも、被告和秀に運転を許容していたものと解する余地は全くないものというべきであるから(なお、被告会社が被告車の実質上の所有者であることを認めるに足りる証拠はない。)、被告松崎又は被告会社の被告車に対する支配は、被告和秀が被告車を盗取した時点において、排除せられ、本件事故当時、被告和秀のみが被告車の運行を支配し、その運行利益も同被告だけが享受していたものと認むべく、したがつて、本件事故につき被告松崎及び被告会社に運行供用者としての責任があるものとすることはできないから、右被告らが運行供用者であることを前提として自賠法第三条の規定により、損害の賠償を求めることは失当といわざるをえない。

(二)  原告らは、被告松崎及び被告会社には、被告車の保管につき過失があり、右過失により、被告車を被告和秀に盗取され、被告和秀において被告車を運転中本件事故を惹き起こしたものであるから、被告松崎は、不法行為者として民法第七〇九条の規定により、また、被告会社は自賠法第三条又は民法第七〇九条の規定により亡秀雄及び原告らが被つた損害を賠償すべき責任を負うべき旨主張するので、この点につき判断する。

右(一)に確定した事実によると、被告松崎は、本件被告車を所有し、これを通勤及びセールスの仕事のために使用し、被告会社は、被告松崎が被告会社の業務のため被告車を使用すること及び被告車を本件駐車場に駐車させることを許容し、被告松崎において業務上被告車を使用した際のガソリン代を支給していたものであるから、右被告両名は、被告車を本件駐車場に駐車させておくにつき、一般通行人の誰もが容易に運転できる状況に被告車を放置することなく、被告車を安全に管理しておくべき義務があつたものというべきであるが、前記本件駐車場の管理状況からすると、右被告らが本件営業所の営業時間内において、本件駐車場に、被告車をその点火装置にエンジンキーを差し込み、ドアに施錠をしないまま駐車させておいても、その管理につき過失があつたものとは認め難いものといわざるをえない。もつとも、被告松崎において、前記二八日午後五時頃、被告車のエンジンキーのないのに気づき、また、被告会社において、その頃、被告松崎から当時本件営業所にいた者全員が被告車のエンジンキーがない旨聞かされた際、当時の被告車のドアの施錠状況、駐車位置等の保管状況からみて、エンジンキーが盗まれたのではないかとの疑いを懐き、エンジンキーが盗難にあつていれば、右エンジンキーを使い何時でも被告車を盗取しうることを必ずしも予測しえないものではなかつたたにかかわらず、被告松崎が右エンジンキーを紛失したものと速断し、その後も被告車をそのまま駐車させておき、同日午後七時三〇分頃、本件営業所の営業を終了するに際し、当直の社員が被告車のドアを施錠したのみで、宿直員のいない本件営業所前の本件駐車場にそのまま放置し、午後一〇時頃、被告松崎及び相田光三がそれぞれ本件営業所に戻つた際にも、被告車のエンジンキーがなく、ドアが全部施錠されていることを確認したのみで(エンジンキーが、エンジンスイッチ―点火装置―とドアの鍵と共通であることは公知の事実であり、エンジンキーが盗まれている場合、ドアの施錠は、盗難防止の機能を果たさない。)そのまま帰宅した点において、右被告らが被告車のエンジンキーの盗難の事実を知らなかつたとはいえ、右エンジンキー紛失後の被告車の保管についてやや手落ちがあつたことは否み難いけれども、右の程度の手落ちのため 通常、被告車が第三者によつて窃取され、かつ、この第三者によつて交通事故が惹き起こされるものとは認め難いうえ、本件事故が右窃取の日の四日後に相当長距離走行に供された後発生したことにかんがみれば、右管理上の手落ちと被告車を窃取した第三者が惹起した交通事故による損害との間に相当因果関係があるものと認めることはできず、本件全証拠によるも叙上判断を左右するに足りない。

したがつて、右被告両名の被告車の保管上の過失と本件事故との間に相当因果関係のあることを前提とし、被告松崎及び被告会社が民法第七〇九条又は自賠法第三条の規定により亡秀雄及び原告らが被つた損害を賠償すべき責任がある旨の原告らの主張は採用できない。

(損害)

五原告らは、本件事故により、次のとおり損害を被り、また、亡秀雄の被つた損害を相続したものというべきである。

1  逸失利益及びその相続

<証拠>を総合すると、亡秀雄は、本件事故当時、五一歳(大正一一年六月二六日生れ)、の男子であり、当時、スミス・クライン・アンド・フレンチ・オーバーシーズ日本支社に販売促進部長として勤務し、昭和四八年一月一日から同年八月末日までの間、給与及び賞与合計金二六〇万円(同年六月ないし八月の給与は、月額金二六万円である。)の収入を得ていたことが認められ、右によると、その年収は金三九〇万円を下らないものと認むべく、亡秀雄は本件事故により死亡しなければ本件事故による死亡の日から六七歳に達するまで右同様の収入をあげえたものと推認しうべきところ、本件事故による死亡のため、右収入を失つたものであり、右収入を得るための同人の生活費は、その収入の四割と認めるのが相当であるのでこれを控除し、ライブニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して亡秀雄の逸失利益の本件事故当時の価額を算出すると原告ら主張の金二、三一六万二、七二四円を下らないこと明らかである。

しかして、<証拠>によると、亡秀雄の相続人は、同人の妻谷口美代、同人の子原告裕子及び同かすみの三名であるので原告裕子及び同かすみは、亡秀雄の逸失利益をそれぞれ法定相続分に従い各三分の一ずつ各金七七二万九〇八円あて相続したこととなる。

2  慰藉料

前示認定のとおり、原告裕子及びかすみは亡秀雄の子であり、<証拠>を総合すると、原告八重は亡秀雄の母であり、亡秀雄は、昭和四〇年頃から妻谷口美代と別居し、原告裕子及び同かすみを引き取り、同原告ら及び原告八重を扶養していたものであり、原告らは亡秀雄の死亡により甚大な苦痛を被つたことが認められ、その他本件全証拠により認められる一切の事情を斟酌すると、原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は、原告八重については金一〇〇万円、原告裕子、同かすみについては各金二五〇万円を下らないものと認めるのが相当である。

(むすび)

六以上の次第であるから、被告和秀及び同政勝は、各自、原告八重に対し金一〇〇万円、原告裕子及び同かすみに対し前項1及び2の合計金の内各金七〇〇万円及び右各金員に対する本件不法行為の日の後である昭和四九年五月二〇日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務あるものというべきであるから、原告らの本訴請求のうち被告和秀及び同政勝に対する請求はこれを認容し、原告らのその余の被告に対する請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九三条の規定を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項の規定を適用し、主文のとおり判決する。

(武居二郎 島内乗統 丸山昌一)

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